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![]() 商標マッチラベル(燐票)には地域色があるらしい 我が家でマッチといったら燕印である 祖母がお店をやっていてそこで売っていたのが燕印であったため子供の頃から有無を言わせず燕マッチでした そんな燕マッチは実は歴史が古い 図案の燕は明治24年(1891年)に商標が登録されたかなりの大御所 南方への輸出向けとして渡り鳥を意図した ラベルにあるSAFETY MATCH(安全マッチ)とは毒性と自然発火の危険性のある黄燐マッチではない安全なマッチということ 黄燐マッチは1912年世界的に製造禁止となった 燕の図案の周りに社名がある現在のモノは兼松日産農林株式会社となっているが燕マッチはいくつもの会社をわたり歩いている 商標の持つ強い力が垣間見えます そして社名で歴史をたどってみた 平成3年〜 兼松日産農林株式会社 昭和14年〜 日産農林工業株式会社 昭和2年〜 大同燐寸株式会社 大正6年〜 東洋燐寸株式会社 大正5年〜 瀧川燐寸 明治19年〜 良燧社 ? 喜多信松(明治30年頃まで持っていたかも) 『良燧社は「馬首印」を喜多信松から「ツバメ印」「筍印」「エビ印」を百崎俊雄から受け継いだ』と燐寸倶楽部にあるのだが「N・KITA'S」と書かれた燕マッチの画像がありもしかしたら「ツバメ印」は喜多信松が持っていたものではないだろうか ということでここでは喜多信松のモノとしてみました こうして見ると社名違いだけでもいろいろあるがその他に 日本語社名のかわりにMADE IN JAPANと書かれたモノや一色刷りのモノなどもある 昭和28年からはJISマークが入っていたり 昭和30年ごろからそれまでは薄い木で作られていた箱はボール紙へと変わった 木の箱がけっこう最近まであったのにちょっとびっくりです こうして見ると燕マッチのラベルをコンプリートするのは大変難しいことなんだと思うのでした 参考サイト 燐寸倶楽部 燐寸博物館 |
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